4月13日は喫茶店の日と言われています。
コーヒーが好きな私は、
この喫茶店の日がどんな日なのか、
知らずにいられず、思わず調べてしまいました!
そうするとびっくりするようなエピソードが!!
そもそも喫茶店って?カフェとの違いは?
喫茶店というのはそもそもどんなお店なんでしょうか?
喫茶店とは、コーヒーや紅茶などの飲み物を出す店ですが、
菓子・果物・軽食も出すことが多いですね。
喫茶という言葉の歴史は古く鎌倉時代頃から使われていました。
ただ、当時はコーヒーではなく、中国から伝わったお茶を飲むことを指していました。
外国ではカフェと呼ばれることが多いですが、
外国のカフェではコーヒーに限らず、お酒などを出す店も多いですね。
ちなみに日本ではカフェと喫茶店は保健所に営業許可によって分かれます。
喫茶店は「喫茶店営業」として営業許可を取ります。
それに対し、カフェはレストランや一般食堂、バーなどと同じく、
「飲食店営業」として許可が出されます。
ちなみに両者の違いは、
「飲食店営業」が食品を調理し、または設備を設けて客に飲食させるもので、
「喫茶店営業」は酒類以外の飲物又は茶菓を客に飲食させるものです。
この分け方だと結構な数の喫茶店は実は営業区分上は飲食店になりますね。
喫茶店の日の由来は?
では、いよいよ喫茶店の日の由来を見ていきましょう!
喫茶店の日の由来は、1888年(明治21年)の4月13日、
上野に日本初の喫茶店「可否茶館」が開業したことが由来です。
可否茶館をオープンさせたのは鄭永慶という人物。
この人はニューヨークのエール大学に留学するほどの秀才でした。
残念ながら、病気で中途退学して帰国しましたが、
英語・フランス語・中国語などを話せるインテリでした。
ただ、大学を卒業できなかったこともあり、
日本でなかなか出世することができず、
アメリカで見たカフェを日本で開こうと上野で可否茶館を開いたのです。
可否茶館は1階がビリヤード場で、2階が喫茶室でした。
気になる珈琲のお値段ですが、珈琲1杯が1銭5厘、ミルク入り珈琲が2銭でした。
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これだとどれくらいの価値かわかりませんので、
他のものと比べて見ましょう。
当時はもりそばが1銭ぐらいだったので、かなり高かったと言えますね。
そんなこともあってか、可否茶館はあまり繁盛していたとは言えず、
最終的に鄭永慶は相場で失敗してしまいます。
鄭永慶はその後、アメリカに再度渡ります。
借金を抱えていたこともあり、今度は密航でした。
結局、鄭永慶はシアトルで亡くなります。
可否茶館の歴史も5年ほどでした…。
鄭永慶は「コーヒーを飲みながら知識を吸収し、文化交流をする場」として可否茶館をオープンさせました。
高い理想があり、時代の最先端を行っていた人物だったのでしょうが、
可否茶館に時代は追いついていなかったんでしょう。
ちなみに日本で最初にコーヒーを出したのは神戸元町の「放香堂」。
可否茶館はあくまで最初の喫茶店なんですね。
確かに可否茶館はまさに喫茶店だなと感じます!
まとめ
それではまとめておきましょう!
喫茶店の日は1888年4月13日に
日本で最初の喫茶店である可否茶館ができた日です。
喫茶店やカフェなど色々な形態がありますが、
コーヒーを飲みながら、交流するというのは
素晴らしい文化は今となっては日本に根付いていますよね。
鄭さんが今の日本を見たらどう言うんでしょうかね?