6月27日はちらし寿司の日です。
ちらし寿司といえばひな祭りの食べ物ですが、
このちらし寿司の日はひな祭りとは関係のなさそうな日に設定されています。
どんな由来があって制定されたのでしょうか?
調べてみました!
ちらし寿司の日を制定したのは?
ちらし寿司の日を決めた団体はどこでしょうか?
それは株式会社あじかんという会社です。
この会社は広島を中心として
食品の製造販売をしている企業。
主に卵焼きなどお寿司用の食材を販売しています。
これでご理解いただけると思いますが、
ちらし寿司の日を制定したのは、
それによってちらし寿司の文化をより広めるため。
ちなみに株式会社あじかんがちらし寿司の日を
日本記念日協会へ登録したのは2004年の4月1日。
意外と最近の出来事なんですね。
ちらし寿司の日はなぜ6月27日?
では、ちらし寿司の日はなぜ6月27日になったのでしょうか?
株式会社あじかんと関係ありそうなものですが、実は違います。
6月27日は岡山藩主池田光政の命日なんです。
池田光政というと江戸時代初期の人物。
水戸藩主徳川光圀、会津藩主保科正之と並び、三名君とされています。
全国初の藩校である花畠教場や
閑谷学校という日本最古の庶民の学校を開いたことでも有名です。
教育熱心な藩主だったんですね。
しかも、日本史の教科書でも出てきますよ。
その名君、池田光政ですが、
質素倹約をすすめたことでも名を知られています。
贅沢を禁じたのはもちろん、元日・祭礼・祝宴以外での飲酒を禁じたんですね。
そのため、岡山には銘酒が育たなかったなどとされています。
実は、その池田光政の倹約令とちらし寿司が大きく関係しているんです!
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池田光政は倹約令で食事は一汁一菜としていました。
一汁一菜というのはご飯はお味噌汁とおかず一品ということ。
なかなかすごい状態ですよね。
それに対して岡山の人々は反発。
一汁一菜でも贅沢を楽しめる料理を考案しました。
それがばら寿司です。
ばら寿司はお酢を使った混ぜご飯に、
小さく切った海の幸や玉子を混ぜ込んだ料理。
これなら一汁一菜に反さないですよね。
このばら寿司、何かに似ていると思いませんか?
そうです。ちらし寿司と似ているんですね。
違いはほんの少しで、
ばら寿司は具を混ぜ込みますが、
ちらし寿司は具を酢飯の上にのせます。
とはいえ、大きな違いではなく、
関東ならちらし寿司、関西ならばら寿司と言うことが多いです。
ということで、ちらし寿司の日は
ばら寿司を生んだ倹約令を出した池田光政の命日がいいとなったわけです。
なかなか強引ですが、言われてみるとしっくりくる由来ですよね。
まとめ
それでは、まとめてみましょう。
6月27日はちらし寿司の日。
この日はちらし寿司と似たばら寿司を生んだきっかけとなった
倹約令を出した池田光政の命日です。
名君というとみんなに愛されたのかなと思いきや、
池田光政は庶民にはちょっと煙たがられたのかもしれませんね。
でも、嫌われてもいなさそうですよね。
その辺が名君といわれる所以なのかもしれません!