本日1月11日は何の日かご存知ですか?
今日は「塩の日」です。
1が3つのゾロ目なので、
何か「1」にちなんだ日だったり、
その他語呂合わせ系かと思いきや「塩の日」
なんで「塩の日」となったのか、
調べてみました!!
塩の日の由来
皆さんは「敵に塩を送る」という言葉を知っていますか?
「敵の弱みにつけこまず、逆にその苦境から救う」という意味ですが、
この言葉もともとは
上杉謙信と武田信玄のエピソードから生まれました。
川中島の戦いで何度も争ったライバル同士の2人。
ライバルを助けるという男前なところを見せたのは上杉謙信。
領地に海がなく、塩が取れないことに困っていた
武田信玄に塩を送ったのです。
1月11日というのはその塩が武田信玄の領地に届いた日なんですね。
上杉謙信が「敵に塩を送った」理由は?
もう少し詳しく見てみると、話は戦国時代にさかのぼります。
永禄10年(1567年)に、甲斐の武田信玄が、
今川氏の同盟を破棄し、東海地方への進出を企てました。
甲斐の武田氏、駿河の今川氏、相模の北条氏は
甲相駿三国同盟を結んでいました。
この同盟は武田氏にとっては信濃をめぐって
対立していた上杉謙信に対抗するための同盟でした。
その同盟が桶狭間の戦いを経て、今川家が弱体、
その上、武田氏と上杉氏の戦いも収束していたことから、
崩壊するにいたったわけです。
そもそもの話、この同盟は今川家に有利なものでしたから、
こうなってもおかしくはないものだったようです。
何しろ今日の都にどの勢力が先に上洛するか
というのが話題になっていた時代。
同盟を結んだ武田氏や北条氏よりも
上洛に有利な地にいるのは今川氏。
しかも、移動しやすい東海地方を通るには
武田も北条も今川氏の領土を通る必要があります。
これでは天下を狙っていた武田信玄が
同盟を破りたくなるのもわかります。
同盟がなくなると今川氏は武田氏に対し、敵対姿勢をとり始めます。
北条氏と協力して塩の供給をストップしたのです。
山国を領地とする武田氏はこれにより非常に苦境に立たされたのですね。
それを救ったのがかつて激しく争った上杉謙信だったわけです。
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現在の「塩の日」は?
というわけで上杉謙信から武田信玄に塩が送られ、
武田領の松本(長野県)に塩が届いたのが1月11日。
その日を記念し、「塩市」が松本市で開かれるようになりました。
これだけでもものすごく感謝されたことがわかりますよね。
この「塩市」ですが、
いつの間にやら「あめ市」となり、
現在も行われています。
現在は全国あめ博覧会・即売会を中心とする行事ですが、
その中にも塩取り合戦などもあり、
塩市の名残を残しています。
実はこの「敵に塩を送る」というのは
後世作られた美談だそう。
実際のところはプレゼントというよりは
あくまで今川、北条側から塩の流通が止められていた
武田側への塩の流通を止めなかったということ。
上杉謙信は商売上手だったみたいですね。
とはいえ、意外なところで意外な形で歴史に残った塩の日。
塩が生きる上で必須のものだからこそ、
ここまで大切にされているのでしょうね!