6月10日は時の記念日ですね。
日本人ほど時間に正確な人たちはあまりいないそうです。
私も海外で4年ぐらい生活していましたが、
確かに日本と比べると時間感覚はだいぶルーズだったと思います。
そもそもバスの時刻表なかったりしましたし。
個人的には日本人の正確な時間感覚はたまにきついなと思いますが、
皆さんはどう思われますか?
実はこの時の記念日は日本人が時間を守ることに多大な影響を及ぼした記念日なんです。
どういうことなのでしょうか?
時の記念日はなぜ6月10日なの?
まずは時の記念日がなぜ6月10日になったのかから。
6月10日と時間にはパッと見では何も関係ないですよね。
実はこれは大昔の出来事から取っているんです。
日本書紀によると
「天智天皇が671年4月25日に
漏刻と鐘鼓によって初めて時を知らせた」とあります。
この671年4月25日を太陽暦に換算すると6月10日なんです。
とはいえ、漏刻(ろうこく)と鐘鼓(しょうこ)と言われても訳がわかりませんよね。
漏刻とはいわゆる水時計のこと。
鐘鼓とは読んで字のごとく、「かねとたいこ」ですね。
要するに天智天皇の時代に初めて水時計が使われ、
時間というものがみんなに知らされたということです。
天智天皇は大化の改新で蘇我蝦夷と入鹿親子を滅ぼした人物。
中学校で習いましたよね。
この出来事以後、朝廷の陰陽寮という役所には
漏刻博士という役職が設けられ、
2人の担当官が交代で水時計を見て時間を知らせたそうです。
なぜ時の記念日ができたの?
とはいえ、時の記念日ができたのはもっと後の話です。
なぜこういった記念日ができたのでしょうか?
まず、第1回目の時の記念日についてです。
第1回目の時の記念日は大正9年。西暦だと1920年です。
時の記念日の制定に一役を買ったのが文部省の外郭団体だった生活改善同盟会。
この団体には渋沢栄一なども役員として加わっていたんですね。
この生活改善同盟会が時間の遵守を訴え、
時の展覧会を文部省と共催で実施しました。
そういった動きの中で東京天文台も漏刻祭を6月10日に実施しました。
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その後も記念行事が続けられ、後に6月10日が時の記念日として定められました。
この記念行事は私たちがイメージするよりずっと大規模で、
都内小中学校での記念講話、神社・寺院などで一斉に正午の時報が鳴らされる、
新聞社もこぞって社説で取り上げられるなど、
様々なことが行われたんです。
その後、昭和15年(1940年)には近江神宮が創建され、
翌年からは毎年近江神宮漏刻祭が行われています。
まとめ
それでは、まとめておきましょう!
時の記念日が6月10日なのは、
天智天皇が初めて日本で時を知らせたことが由来。
時の記念日は大正時代に時間の大切さを訴えて
6月10日に記念行事を行ったことが起源。
日本の時間厳守精神は世界に誇るものですが、
これが生まれたのはこういった様々な行事の賜物なんでしょうね。